20 December 2017

帰国


帰国しました。

留学先で現地の幼稚園に入園し
そこで同時に私たち親も学べたことは本当に珍しくラッキーだったと思います。
英語を喋れるようになってくると
人種の違いを逆に感じなくなりました。
文化は違えどインターネットが発達した今
思考や感じ方はあまり変わらないんだなと
人間と人間なので悩みや嬉しさは同じ次元で共有し合うことができます。
さらに世界は個人主義に、国としてではなく
パーソナリティーとしてワンワールドに
なりつつあるのを感じます。



PASSING THROUGHという言葉を勉強した時に
いろいろな意味が含まれているのだけれども、
「たとえば、みんなで何かディスカッションしているときに意見を言わずただ受け取る人のこともこう言う、それは人の意見を盗むと同意なんだ」

とその先生はおっしゃっていて
言葉は同じでも意味合いが
国によっては異なる
文化の違いを感じました。

英語は単語の意味合いがはっきりしていて
日本語のようにぼんやりとした言葉はなく
そうゆう風に英語で伝えると
必ず「どういう意味ですか?」
と聞き返されてしまいます。
具体的に何を言いたいかを伝えなければいけません。
空気を読み
相手に同調する
という文化は
少なからず英語という言葉には
ないように思います。
わたしのパーソナリティーとしては
英語のほうが以前よりとても快適に過ごすことが
できていることに気が付きました。

フィリピンという国はとても人口が多く生きずらい国に感じます。
けれどインドもそうだったのですが人口が多い分
街中で人同士が窮屈に重なり合ったって
誰も文句は言わず協調性を重んじます。
けれど身内の繋がりがとても強く
それを超えて親しくなるのはゼロに近い気がしました。
南の国らしさはシティーには全く感じず、
というのも人口増加で交通量が物凄く空気が悪いうえに
みんな忙しそうに日々を過ごしていたからです。

ですが帰国前に旅したBANTAYAN ISLANDは透き通る海と
ゆったりとした時間の流れに
これぞ南の島
というのを最後に味わって

どこへ行ってもそうなってしまいますが

最終的には
帰りたくなくなってしまいました。





14 October 2017

サントニーニョ教会


    早くも10月に突入しましたが
わたしはまだフィリピンにおります。

こちらは10月といっても季節感はなく、
ただ9月を過ぎるとあらゆる場所でクリスマスの始まりとなります。
ツリーを既に飾ったり、クリスマスの音楽が流れ始めます。
もちろんこれが12月まで続きます。

世界一早いクリスマスだそうです。

ここセブ島で有名な観光スポットといえばサントニーニョ教会です。
日曜の礼拝の他に地元の人にとっても特別な場所です
実際、日曜以外でも何かあるとこの教会を訪れるという話をよく耳にします。


というのも500年も前に建てられた
フィリピンで初めてのカトリック教会でもあるからです。

信仰は違いますが、
初めて訪れた時涙が止まりませんでした。
こんなにも人々は苦しみで満ち溢れているのか...と

何度も他国に支配されているこの国にとって
この教会は救いであり
命を捨ててまでも守り抜いた場所でもあります。

時が流れた今でさえも
人々は神に救いを求め続けています。

苦しみと信仰は何百年経った今でも消えることなく
私たちを常に取り巻いています。

私たちがこの世に生まれた理由と
死にゆく理由を考えることが

私たちにとって必要なことではないでしょうか?

暗闇の中、練習をしているとバランスを見失います。
私たちは明るい場所でいかに外側の指標に頼っているかに気づきます。

私たち自身の内側の確固たる真我に思考を向けることで
暗闇の中でもバランスを失うことはなくなります。

実際におこなってみると分かりますが簡単にはできません。
それには練習が必要です。

それと同様に
私たちも常に外側に意識が向かい
心のバランスを崩しています。

私たちの思考を司っている8割が視覚からの情報
と言われるのも

いかに私たちにとって内側に向かうことへの
困難さが伺えると同時に
とても重要なことだと知らされます。

なぜ人は生まれたことは意識できるのに
死ぬことを意識するのは困難なのでしょうか?

そこに
生きるということのヒントが隠されていると思います。

教会で私の耳の奥で神が囁きました
「私だけを見つめ続けなさい」

目に見えることに永遠などはなく
それは常に変化し続けるもので
つまり
原因と結果の繰り返しである

それは
水の流れに似ている

行き着く先が
大きな海原のように

私たちも
外側の要因を全て受け入れることができれば

全てが消え去っていくのではないだろうか?










16 July 2017

In Philipine

わたしは今フィリピンにあるセブ島に来ています。
ここに来て早くも1ヶ月が経ちました。

この地はセブ島とはいうものの全くビーチは見当たらず...

島の面積は山梨県ほどでそこに300万人もの人々が住んでいる、バケツをひっくり返したように人で溢れかえっている、いわばインドに似た、いや、やはりアジアの国だなと感じる街です。

それでも気質は日本人に似ていて南の国のイメージのようなのんびりさはあまり感じません。

そしてここはイオンのようなモールとジャンクフードで溢れかえる、なんとなくアメリカのような匂いも漂わす不思議な国でもあります。

とゆうのも、やっぱりこの国もここ5年経済発展が著しく新たなショッピングモールが幾つも建設されアメリカから輸出された商品がズラリと並んでいます。なのでアメリカで売られている商品は日本より割安で購入はできるものの、H&Mやユニクロなどのワールドワイドな商品は日本と変わらず、実際には日本と同じ生活をしたいならこちらの国では割高なように感じます。

とゆうのも意外と旅行客はセブ島には立ち寄らない為、こちらのお金持ちと同じ扱いになってしまい、実際の物価は日本の3/1程度ですが日本のような安心な生活をする為には、日本の田舎で生活するのと価格は然程変わりはないよな感じがします。

とはいえ、そこはやはり南の国で人に関してはかなり寛容で日本のようにすぐさま間違いを指摘するようなことは先ずなく、自分らしく生きられるのはとてもいいです。

けれども経済発展が著しいこの後進国も人々は長い休みもクリスマスや夏休みで意外にも給料の割に忙しい生活を強いられていてストレスによるアルコールやタバコやジャンクフードに囲まれて不健康な生活を余儀なくされているようです。







13 June 2017

HOME TOWN

 






群馬に戻りました
ありがたいことに以前のクラスの方達が
再びこの地でヨガを教える機会を与えてくださいました












初めての方から以前からのお付き合いの方まで
たくさんの方々が参加してくださり
感動的な帰省となりました

迎えていただけること
そして帰る場所があるということに
心から感謝致します



8 June 2017

Amma


アンマ、アムリターナンダマイー・デーヴィー。
インドの聖者。

以前のブログでも記載いたしましたが
去年インドを訪れた際、ちょっとした気持ちの行き違いから
もう目の前のアンマのアシュラムを訪れることができず帰国。

今年に入り何故か偶然、彼女の元で30年以上修行をしている高弟子に母の初七日に会うことができひどく感銘を受け
どうしてもアンマに会いたいという気持ちが強くなり
再び偶然、彼女が5月に来日すると知り
旅の途中急遽、最後の目的としてアンマに会いに行くこととなりました。

場所は東京
会場が開くと同時に長蛇の列
早い時間に行ったもののもう既に多くの人がアンマの抱擁を待っていました。
この時点でもう既に会場内の空気感が全く違って神聖なものがここにある
何か強いエネルギーで私の頭がぼーっとして
けれど心は神聖さが現れてきました

彼女が会場に現れるのをひたすら待ち姿を現した時、
ただ、あぁ私はこの人を待っていたんだ
という気持ちしかありませんでした。

彼女と神に祈りを捧げ瞑想をし
抱擁までの間キールタンを歌い
抱擁の順番がきました
彼女の胸でただ私は無心でした
そのあとも真っ白なまま

神の化身は母と同じ愛情を
全ての人々に捧げておりました
人々を抱擁しながら
一人一人アンマの表情が変化します。
彼女にはいろんな人生が見えるのでしょう

いよいよ私の番になり
アンマのそばで平伏し深い胸の中で抱擁されました
その時、彼女は何か呟いていました

私には『私の子供、私の子供よ』と心に響いてきました。



アンマの誕生日が亡くなった母と同じ誕生日だと
帰宅の途で知りました。






5 June 2017

熊野古道



四国を一周し
和歌山へ
世界遺産熊野古道を目指します。

かつてこの紀伊半島は木の国と称し神が宿っていると信じられ
自然崇拝が色濃く残る地
あらゆる場所に王子と呼ばれる地蔵が山林の中佇む
スピリチャルな土地です。

熊野古道には、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)といわれる3つの神社があり
神が衆生の過去、現在、未来の救済としてあらわれる霊場として有名です。

王子を探しながら山林を歩いていると過去や現在の記憶が次々と回想されて行きます。
神社に着く頃にはくたびれて
全ての記憶が
消えて無くなって行きます







3 June 2017

四国



瀬戸大橋を渡り四国へ
この瀬戸大橋が完成するまで離島だったこともあり
歴史を感じる情緒漂う雰囲気に包まれています。
そして何故か四国はどの県も優しい風に包まれていました

香川県の讃岐うどんはとても有名ですが
私はとてもうどんが好きで
一度は本場で食してみたいとかねがね思っておりました。

讃岐うどんのスタイルは、
セルフサービスで素うどんに好きな揚げ物などをトッピングしていくという、
よくある大手うどんチェーン店と同じ形をとっているところがほとんどであり
何よりチェーン店と違うのは味もさることながらお店の雰囲気。
そこら中にあるうどん屋さんが古めかしく、
全く気取ってはいなく昔からある駄菓子屋のような
生活感がにじみ出ている感じがしました。


香川県では最近よく雑誌などで取り上げられる
アートの島、直島へ。
ここはベネッセが土地を買い取り建築家の安藤忠雄氏が設計した
美術館やホテルが立ち並ぶ島です。
元々は産廃を受け入れるにあたり
風評被害対策の対策の一環のアイディアだったそうです。
ですが産廃業、古くは三菱マテリアルの煙害や山林火災によって
禿山となった島とは思えないほど美しい景観でした。
日本国内でこれほどの美しい海を見たのことはなく
感動的なエメラルドグリーン色に輝いておりました

もちろん安藤氏が手がけた景観を損ねないために
設計された全てが地下に埋まっているという
地下美術館も絶句するほどの美しさがありました。

階段を下り入り口から見える巨大なモネの絵画
設計された四角い入り口と真っ白い壁のコントラストが
異次元空間の中に佇んでいるようで
一枚の絵に私の全てが引き込まれて行きました。








31 May 2017

そして広島へ


九州全てを周りいざ広島へ
もちろん目指すは平和記念公園。

広島県自体はものすごく発展していて大都会
70年前に原爆を投下され14万人以上が亡くなったという事実は
この平和記念公園以外ではまるで感じられないほどの街並みです。
けれどこの平和記念公園(爆心地)には悲しみと平和の祈りが
そこにいるだけでどの人の心にも感じられてきます。

原爆資料館に入館しまず最初の写真は
壁一面に映し出された投下前の爆心地の街並み。

そして中へ入ると跡形もなくなった丸焦げの爆心地。
その対比がとても衝撃でした。

そして爆撃後の遺留品などと被害者の方の声が更なる悲劇を目の当たりにして行きます。
資料館を後にする頃にはとても重たい悲しみと、
唯一核爆弾を投下された国であるのに
原発を稼働し9条を改憲しようという
日本の矛盾を感じいたたまれなくなってしまいました。

何かの犠牲の上に私たちの平和が成り立っていることに多くの人たちが気づいてもらえるために一度はこの平和記念公園を訪れていただきたいと強く願います。









日本という島々


ゆっくりと旅をしているとふと立ち寄る町の歴史的背景も知りたくなります。
長崎の原子爆弾や熊本の薩摩藩、水俣病。鹿児島の川内原発。
その土地の背景を知ると全ての見方が変わってきます。

例えば水俣病で被害を受けた水俣市。30年以上前のことですが未だ町の名前を挙げただけで差別されてしまう悲しい背景があります。けれどもその多大な被害があった海辺も大きな美しい景観の公園へと変貌し環境モデル都市としてゴミの分別を24種類と全国でも最も細かいレベルまで分別し『日本の環境首都コンテスト』(日本の環境保護の分野において優れた行政活動を行なっている自治体)において2年連続1位を獲得している町に変貌している。
前回にも挙げたように被害を受けたからこそ大切さがわかる。
全ては何かの犠牲の上で成り立っていると感じます。苦しみを味わったからこそ人の苦しみがわかるように...




そして川内原発。
日本一危険な原発と言われているその背景には桜島や霧島山などの最も活動な活発な活火山が近くに存在しているということ。


日本人であるのに色んな歴史を教科書のテストのためでしか脳裏に記憶されてなかった自分がとても惨めに感じました。

その土地に染み付いている歴史はその街や人々を形成していると肌で感じます。だからこそ旅と歴史を知るということはセットでなければいけないのだと初めて気づかされました。



15 May 2017

自然災害

 長崎から佐賀へ、そして熊本へ。
佐賀では3000年もの間生き続けている樹木に出会いました。
佇むオーラが半端なく神々しく、神様と出会ったような感覚を覚えました。


そして震災から1年後の熊本。
熊本城へ。
城壁ぐ崩れ、勿論遠くからしか見ることが出来ず城自体も鉄骨でなんとか支えられているのが伺えます。
崩れそうな石積みを一旦崩し、一枚一枚番号をふり敷地に何百枚も敷いてありました。


そして一番被害の大きかった南阿蘇へ。所々で未だ通行止め。
山に土砂崩れの跡も伺えます。
けれど、ちょうどゴールデンウィークで去年震災の影響で訪れることが出来なかった人で街はごった返していました。街の活気を感じました。
この南阿蘇にある白川水源、こんなに美味しい水を飲んだのは生まれて初めてというくらい美味しい水でした。
美しい山々に囲まれている村なのだと実感です。


そして熊本で一番楽しみだったアンナプルナ農園へ。

有機栽培でお茶を作っているご夫婦の農園。
旦那様の正木高志さんはインド哲学を学んでおられ是非お会いしてお話をお伺いさせていただきたいと以前から思っておりました。

あいにく正木さんは不在で奥さまのちずこさんが快く迎えて下さいました。

あまり深い話はしませんでしたが、
内なる意識の中で生きているような静寂が彼女から感じられておりました。

そして、彼女にわたしは問いかけました。
「人々は何故内なる真実(魂)だけを見ようとしないのでしょう?みんながみんな手を取り合い、外側に平和を願うより、ひとりひとりが内なる魂のみを真実としたならばすべてが平和になるのに」
「わたしもそう思います。」
と彼女は静かに仰りました。

差し出されたとても丁寧に作られたお茶が静寂とともにわたしの身体に染み渡りました。


初九州



山口県からトンネルを抜け北九州、そして福岡県へ。
北海道から来ると何もかもが異なって感じる九州。
街の作りから食文化、人柄何から何まで同じ日本とは思えないほどです。


人懐こい性格なのか旭川ナンバーを見るとよく話しかけられます。
食べものをいただいたり旅の情報をいただき恩恵を得ながら
九州最大の都市博多へ
意外にもうどん伝来の地である博多。
きしめんに似た幅広の麺にツルツルの食感。こちらではメジャーなゴボウの天ぷらが堪らなく美味です。

博多での食文化を大いに満喫し、
長崎佐世保へ。私たちが佐世保を訪れた時、北朝鮮のミサイル問題の真っ只中でちょうどアメリカの戦艦が佐世保に到着していました。
古くから造船業が盛んだった街、そしてアメリカ基地がある佐世保。次に訪れた長崎原爆記念館でとても複雑な気持ちになりました。





現地に訪れると更に日本の辿ってきた歴史を知ることが出来ます。
原爆を落とされながらアメリカの基地を持ち原発を保有する日本。
大昔から争いを繰り返し多くの人が犠牲にになりながら平和とはどのようなものなのかを理解してきた人間たち。
過去の歴史から段々と多くの人たちが理解をし平和を願うようになった現代。
平和とは争いの犠牲の上に成り立っているのだと実感します。

平和への道、
国と国で見れば矛盾だらけ。
人と人でみれば真実のみ。

世の中は国と国から個人から個人へと、平面から点へと小さくなって行っている。

全体で物事を捉えるのではなく、
個人を尊重する。
あなたはどうしたいのか?
誰かの顔色を伺い、誰かに合わせるのではなく、
あなたは誰なのか?












21 April 2017

旅立ち


11日の夕方に旭川を出発し残りの用事を片付け13日の夜に小樽からフェリーで京都府舞鶴市へ。
舞鶴の道の駅で一泊し天の橋立へ、島と島を繋ぐ一本の道を歩き展望台へ。
一本の道は昇り龍のように天へと伸びているようです。

そこから更に南下し鳥取砂丘へ
想像をはるかに超えた巨大な砂浜


鳥取はすべてがのんびりと穏やかな、時間の流れを感じ3日ほどキャンプ場で過ごし、島根へ。
もちろん目的は出雲大社。



伊勢神宮を彷彿させる威厳ある佇まいに圧巻。
そして山口県へ

島へと繋ぐ人工的な角橋。
自然と人工的な橋が何故かハリウッド映画を観てるような驚きに似ていた。
そして、旭川を出発して10日目、初上陸した九州、いまは福岡市にいます。
穏やかな気候と天候に恵まれ
獲れたての新鮮な食材を調理し自炊、その街の味を、噛み締めながら地域を知りゆっくりとした時間を過ごしています。
明日からは佐賀、長崎。
旅していると日本人としての日本を更に知ることが出来ます。



14 February 2017

ヴィパッサナー瞑想


私がインドで経験したヴィパッサナー瞑想がニセコと長野で実践することができるそうです。
私のクラスで瞑想とはどのようなものか理解した方
この機会にぜひ実践してみることをお勧めいたします。

以下、センターより抜粋


ヴィパッサナー瞑想者のみなさま、こんにちは。
【センター外コース開催決定】
センター外コースを、北海道ニセコ/カリンパニ・ニセコ藤山(ふじやま)と長野県阿智村(あちむら)/ふるさと村自然園にて開催することが決定いたしました。
ダンマーディッチャでは男性個室宿舎の建設工事のため、2017年5月から約3ヶ月、十日間コースが開催されないため、この期間に、センター外コースを開催することになりました。
1. 北海道ニセコ/カリンパニ・ニセコ藤山での開催
<日程>
2017年4月25日(金)~5月6日(土)女性対象10日間コース
2017年5月7日(日)子どもコース
2017年5月10日(水)~5月21日(日)男性対象10日間コース
<会場>北海道カリンパニ・ニセコ藤山
住所:〒048-1511 北海道虻田(あぶた)郡ニセコ町字ニセコ336−1
URL:http://www.karimpani-niseko.com
2.長野県阿智村・ふるさと村自然園での開催
<日程>
2017年5月31日(水)~6月11日(日)男女対象10日間コース
2017年6月13日(火)~6月24日(土)男女対象10日間コース
2017年6月25日(日)子どもコース
<会場>長野県阿智村・ふるさと村自然園
住所:〒395-0401 長野県下伊那郡阿智村清内路(せいないじ)2991
ふるさと村自然園 せいなの森キャンプ場
URL:http://seinanomori.com/saito/seinano_senkyanpu_chang.html
*コース参加の申込は、通常通りコース開始日の2か月前に開始します。
https://www.dhamma.org/ja/schedules/schadicca
3.センター外コース開催へのご協力のお願い
<1. コース参加の呼びかけ>
①北海道在住の瞑想者に、ニセコでコースが開催されることをお知らせください。
②関東・甲信・静越の瞑想者に、長野県阿智村でコースが開催されることをお知らせください。
<2. コース奉仕者の募集>
通常のコースと同様の申込み方法にて受付けます。
また、下記の日程でコース前の準備や、コース初日と最終日に自家用車で送迎をしていただける古い生徒の方を特に募集しています。
・北海道ニセコ
4月21日(金)~25日(火)コース準備
5月8日(月)~9日(火)コース準備
・長野県阿智村
5月27日(金)~31日(火)コース準備
6月11日(日)~6月13日(火)コース準備
以下、詳細をご覧の上、お申込みください。
センター外コースのページ
https://www.jp.dhamma.org/ja/os/non-centre-courses/
<3. プロジェクトメンバーを募集しています>
センター外コースの実施に向けて、一緒に奉仕するプロジェクトメンバーを募集しています。
在宅でも、さまざまな文章の作成や備品の発注、またタスクの管理者として奉仕できます。
お問合せは、下記のアドレスまでご連絡ください。
ダンマーディッチャ・センター外コースプロジェクトチーム
non-center@jva-da.org

11 February 2017

お知らせ



4月の引っ越しに伴い
3月いっぱいをもちまして
旭川のすべてのクラスを終了致します

皆様にはご迷惑をおかけ致しまして
大変申し訳ございません


私の中で大きなものを失い
そして失った中に
また
大きなものを得ることができた2年でした

嵐が起き
大きな波にのまれ
すべてを失ったけれど
何にもなくなった時に
本当に大切なものは何か
知ることができた

大海原で
どこにもしがみつくことができず
ただ目を瞑り
すべてを手放し
あるがままに
身を任せ
私は海の底に
沈んでゆく
そして
私も海の水だったのだと気が付いた

30 January 2017

いばらの道


占いが好きでよく見たりするけれど
人は生まれてきた時点で大まかな個性に分かれているのだとわかる

どうしたらいいかと相談され
私から人にアドバイスをしたって
その人の個性は違うのだから
道の選び方も違うし
個性に沿って
社会に関わりあう役割も違う


私から見たらその選択はどう考えてもいばらの道だろうと思って
そうアドバイスをするも
選ぶ道には極楽浄土のような世界が待ってるとその人はそう信じてやまない

でもたとえその選択がいばらの道であっても
そこを通ることはその人のカルマ(業)によって決められていて
必要な通過点であるのかもしれないと
自分自身の人生を振り返り思う

だからいくら親身になってアドバイスをしても
実はその人にとっては
もう決まっていることだから
意味がないようにも思う

自己実現はあらゆるカルマを払拭することによって
今の自分自身の願望の実現だけではなく
前世の思いをバトンのように引き継ぎ
実現されてゆくものなのだと思う

だから
今の思いは魂の声なんだと

占いなんて大まかな個性の判断であって
あんまり当たるとは思えないしと思いながらつい見てしまうけれど

自分自身が選択する道は
もうすでに決まっていて

人それぞれに

決まったゴールがあり
次の人生にバトンが渡されていき
いつしかそのバトンを渡さなくてもいい日が来るのだと
そう思いながら

自分の功績を外側に願うのではなく
内側に向けた精神性の向上を願うものなのではないかと思う



24 January 2017

クリスタル




クリスタルで瞑想をするのが好きで
その時の気分でクリスタルを集めています

最近気になっているのがアクアマリン
本命はエメラルドで
おまけとしてやってきたアクアマリン
後で知った私の誕生石

瞑想中に感情を全てかき消してくれる強さがあり
どうしても肌身離さず持っていたい
という気持ちが強くなって

ネックレスを作ってみることにしました

クリスタルのネックレスといえば
すぐに思いつく
マクラメ編みという編み方は
私にとって
大いなる混乱と迷いを生みました

何本もの紐を操っていくこの技法
インターネットと本を駆使しても本当に難解で

なんども失敗して
頭よりも感覚が先行した時に
初めて成功の兆しが見えてきました

でも手が慣れて
考え事をしてしまうと富士の樹海

また紐を解き直し
感覚のみに集中する

私たちの持つ感覚という機能は
とても素晴らしく

感覚を信じ
前に進むことができれば
ラビリンスに入ることはないのだと

マクラメ編みをしながら人の人生の道を思いました
そして物事は
何本もの紐が交差して複雑そうに見えるけれど
思考を捨ててしまえば
案外シンプルなんだと


インド旅行をした時に
グーグルマップを頼ってばかりいた人は
最後までグーグルマップなしで道を覚えることはでなかった
ことをふと思い出し
大切なのは

文明の利器より
科学より
己の感覚




14 January 2017

ハマりごと



旭川の冬はとても厳しく
毎日とてつもなく寒くて外に出かけようとは
なかなか思いません

動物たちも冬ごもりをするのと同じで
私も冬ごもり中

そんななかハマりだした
刺繍
ひと針ひと針
自分の過去を振り返っていく
ひと針ひと針集中する行為が
自分を客観視してくれる
自分を見つめ直す





チャクラ
サハスラーラはあえて作らず


8 January 2017

ふんどしの怪


今はもう一般的に認知されている布ナプキン。
もう何年も使用していますが
今や色々な種類があり防水仕様になっているものもあります

お洗濯の心配や漏れの心配で迷っている方もいらっしゃるのではないかと思いますが
100均にも売っているセキス炭酸ソーダをお湯に溶かし
つけ置きしておけば簡単にお洗濯が可能です
漏れの心配も
多い日は布ナプキンの下に布を敷いていれば何の問題もないですし
長年仕様することにより自己抑制効果とでもいうのでしょうか
自然と量が減ってきます

ということで今や布ナプキンの知名度は高いのですが

この度さらに
下着をふんどしにしてみました
それまでいわゆる巻きつけるようなふんどしのイメージを持っていたので
面倒だなぁと倦厭していたのですが
ある個人の方の作ったふんどしパンツを発見し
ものすごく履いてみたいという衝動に駆られてしまいました

割と安価だったこともあり購入し早速履いてみたところ

驚愕...青天の霹靂...

まさに下着革命

それは全く履いている感覚がないのです
ヨガを教えているのでストレッチパンツをほぼ毎日のように履いておりますが
下着の存在を忘れてしまうほどです
こんなにも締め付けがないものなんて!

どのような効果があるかは
まだわかりませんが
とにかく
気持ちいいです



私が購入したも
Molcoさんのふんどし

歳とともに感性より感覚を重視してきております
















4 January 2017

自然療法


娘が風邪をこじらせひどい中耳炎になり
それ以降中耳炎を繰り返すようになってしまいました
その度に病院に行き長期間抗生物質を服用しなければいけない状況になり
こんな幼少期に長期的な薬害治療なんて人間の治癒力を低迷させてしまうと心配になり
服用された抗生物質をやめ食事療法のお手当を家庭でしてみました。

わたし自身が中耳炎になったことがないので娘の痛みの度合いがわからず、
痛みで夜中じゅう疼くもんだから本当に心配になって
一度病院に連れて行ったら中耳炎と診断せれ
もともと薬を服用させることに抵抗を持ってはおりましたが
痛みを我慢してくれる年齢ではないと思い
止むを得ずその時は飲ませましたが、やはり薬は対処療法でしかなく
少しの風邪でまたすぐに中耳炎になってしまい
一度完治したのにもかかわらず
今回は水まで溜まってしまうという始末

確かに夫の家系は中耳炎でそれをどうやらそれを娘は継承していしまったようで
お医者さんもよくなる子とならない子がいるとおっしゃっておりました。
それはわたしが調べたところによると鼻から耳への形状の違いと
肝臓の弱さから患いやすくなると
もちろんお医者さんには通じませんでしたか...

形状に関していえば
確かによく噛まなかったり
汁物を好んで食べたりと理由が伺えます
玄米ご飯をよく噛んで食べさせることにし
肝臓に関してはこんにゃく湿布をして
耳の下にビワの葉を貼り付け
薬を服用せず自然療法のみでしばらく続けてみました

1年かかる子もいると言われた耳の中の水が2週間で完治していました
それで更に調べていくと
肝臓は毒素を排出してくれる臓器だから
吹き出物などができると肝臓が弱っている証拠だそうで
わたし自身も肝臓を温めるようになりました
そして肝臓が弱っていると倦怠感や怒りなども現れてくるようで
そんな症状が出た時にも肝臓を温めるように心がけるようになりました

もちろん普段の食事が大きく左右してくるので普段からの心がけが大切だとは思いますが



1 January 2017

老いるということ




年が明けました

誰にとっても変わらない1年のはずなのに
歳を追うごとに
1年という日々を早く感じてしまうのではないでしょうか?

それはきっと歳を追うごとに
あらゆる事柄に当たり前になり興味がなくなってゆくせいなのかもしれません
生まれたての子たちは皆
1日に起こる色々なことに興味を示して感じて
1年を過ごしています

私たちは歳を追うごとにすべてのことが当たり前に感じ
当たり前に過ぎてゆく1日1年を過ごしているのではないでしょうか
欲望を満たすものにしか興味を持たなくなってしまっているからなのではないでしょうか

風の匂い
四季折々の花
空の色
月の形
日々の景色

いろんなことが日々変化しているはずなのに
私たちは何も感じることなく
ただ欲望を日々満たすために
死に向かい
1日1日を過ごしているのでしょうか?






見上げた空に
その答えが隠されているかもしれません