14 October 2017

サントニーニョ教会


    早くも10月に突入しましたが
わたしはまだフィリピンにおります。

こちらは10月といっても季節感はなく、
ただ9月を過ぎるとあらゆる場所でクリスマスの始まりとなります。
ツリーを既に飾ったり、クリスマスの音楽が流れ始めます。
もちろんこれが12月まで続きます。

世界一早いクリスマスだそうです。

ここセブ島で有名な観光スポットといえばサントニーニョ教会です。
日曜の礼拝の他に地元の人にとっても特別な場所です
実際、日曜以外でも何かあるとこの教会を訪れるという話をよく耳にします。


というのも500年も前に建てられた
フィリピンで初めてのカトリック教会でもあるからです。

信仰は違いますが、
初めて訪れた時涙が止まりませんでした。
こんなにも人々は苦しみで満ち溢れているのか...と

何度も他国に支配されているこの国にとって
この教会は救いであり
命を捨ててまでも守り抜いた場所でもあります。

時が流れた今でさえも
人々は神に救いを求め続けています。

苦しみと信仰は何百年経った今でも消えることなく
私たちを常に取り巻いています。

私たちがこの世に生まれた理由と
死にゆく理由を考えることが

私たちにとって必要なことではないでしょうか?

暗闇の中、練習をしているとバランスを見失います。
私たちは明るい場所でいかに外側の指標に頼っているかに気づきます。

私たち自身の内側の確固たる真我に思考を向けることで
暗闇の中でもバランスを失うことはなくなります。

実際におこなってみると分かりますが簡単にはできません。
それには練習が必要です。

それと同様に
私たちも常に外側に意識が向かい
心のバランスを崩しています。

私たちの思考を司っている8割が視覚からの情報
と言われるのも

いかに私たちにとって内側に向かうことへの
困難さが伺えると同時に
とても重要なことだと知らされます。

なぜ人は生まれたことは意識できるのに
死ぬことを意識するのは困難なのでしょうか?

そこに
生きるということのヒントが隠されていると思います。

教会で私の耳の奥で神が囁きました
「私だけを見つめ続けなさい」

目に見えることに永遠などはなく
それは常に変化し続けるもので
つまり
原因と結果の繰り返しである

それは
水の流れに似ている

行き着く先が
大きな海原のように

私たちも
外側の要因を全て受け入れることができれば

全てが消え去っていくのではないだろうか?