7 March 2016

インド part6

ティルバンナマライに行く前に以前フランス統治だったポンデッシェリーに向いました。マーマッラプラムからパブリックバスで3時間そこからリキシャでアシュラム経営のゲストハウスへ。ここはグル、オーロビンドゴーシュの息づく街。多くの滞在型アシュラムで瞑想やヨーガがおこなわれています。けれど想像以上にハイソな街。
運悪くインド人の休日とぶつかりどの部屋も満室で空いていたとしてもとても高い値段の部屋しかなく長期滞在は難しいかなと途方に暮れてしまいました。
ここは酒税がかからない為、現代のインド人には人気があるようです。もちろんアシュラムも人気が高くオーロビンドゴーシュの人気も高いのが伺えました。とはいえ全体的に何処かヨーロッパの風を吹かすポンデッシェリーは私たちとってはなんとなくインドのイメージとは遠く離れたなにか居心地の悪さを感じさせて無理をしてまでも滞在する気には到底なれずまたバススタンドまで戻りティルバンナマライにそこから更に3時間かけて向かうことにしました。
ティルバンナマライはタミルナードゥ州の中では田舎で途中の景色は田舎街に相応しい田園風景と巨大な石が積み重なって出来た大きな山々とそしてその上には廃墟となった城が建てられておりインドの深い歴史を感じさせられました。そしてその情景が開け放たれたバスの窓から何故か懐かしい風が私のまわりを駆け抜けて行きました。
ティルバンナマライには18時過ぎに到着しホテル探し。10年前のガイドブックしか持参していなくそこに掲載されたホテルに行くも当時の倍の価格。仕方なく目的地マハリシのアシュラムまで足を伸ばしアシュラムに宿泊できるか尋ねるも1ヶ月前の予約が必要とのこと。10年前のガイドブックでは多くのゲストハウスはなくこじんまりとした印象でしたが実際には多くの外国人が滞在して外国人向けのホテルやレストランが数多く存在しているようでした。運良く看板などは出していないが部屋を提供している場所を見つけ、少々高くついたけれど(約1600円)AC付きでとても清潔でとても広い部屋に宿泊することができました。
その日はあまりにも疲れていた為に日本から持参したアルファ米とお味噌汁でみんなご就寝しました。




5 March 2016

インド part5

ドメスティックエアポートに着きました。恐ろしくリゾートを感じさせる造りとなってしまって驚愕。以前来た時とはまるで面影もありません。空港周辺には既に巨大なホテルなどが建築中でした。まだまだ変化しそうな勢いです。エアポートの中ではお酒も堪能できるレストラン(インドでは宗教的な理由からお酒を飲むことはほとんどできません出来てもとても高い税金がかけられている)などもあり完全に外部を意識していました。
そこから3時間かけてチェンナイへ。人がごった返した街、日本企業が多く日本人も多いらしいのですが街自体の特に観光もなくとてもアクセスが悪いのでそこからローカルバスで2時間かけて5年前に津波の被害を受けたビーチ観光地マーマッラプラムへ。


津波の後、タミルナードゥ州では大きな観光地だった為に政府はすぐに復興するも観光客は激減し私たちが行った時にも何か少し時代遅れのようなひっそりとした観光地になっていました。
被災以前は多くの日本人が訪れていましたが津波の後は激減したそうです。
でも、本当の意味では津波の後また訪れてそこでお金を使うことが彼らにとっては多くの幸福をもたらすのだと思います。
魚介料理と石像工芸が特に有名でシヴァの息子ガネーシャを購入させてもらいました。そのあと他の地域でも同じような石像が売られていましたがこれほどまでに美しい彫りはありませんでした。インドの寺院を見ておわかりのようにインドには腕の良い彫刻人が数多くいるようです。
次は愛してやまないマハリシの眠るティルバンナマライへ








インド part4

次の日、朝から国立ヨーガ研究所でプラーナヤーマを学びに向かいました。
呼吸法の種類によるムドラの違い、そして新しい呼吸法や意味などを深く学ぶことができまた次回は長期滞在で学びに来たいと思います。



やはりヨーガはインドのものです。
長い歴史の中で多くの文献の中で研究され尽くしていることを実感しました。
明日は、これまた新しく変わったドメスティックエアポートで南インドチェンナイへ!


インド part3

パパルガンジーの安宿街に到着し5年前と差ほど変わり映えのしない人混みとリキシャを掻き分けながら宿探し。2月終わりとゆうことで予想外に寒くACは必要なさそう。
いつもより綺麗な宿を探し見つけたVIVEK HOTEL 広いしベランダもあり清潔でなんといっても売りはパパルガンジーの騒々しさを忘れさせてくれるルーフトップレストラン!

荷物を早々と置き早速レストランでチャイでひと休み。
そのあと南インドチェンナイまでの航空券を予約しようとトラベルエージェントに入ったところ、私たちの次の予定では西隣りにあるラジャスターンに行くつもりだとなんとなく会話が始まり、ストライキの影響で列車が走ったり止まったりでキャンセルが相次いでいるとゆう話を聞き、それにラジャスターン周遊ツアー(ラクダに乗りテントを張りながら旅をする)がひとり30000RSもすると聞き今回は諦めデリーに何日か滞在し南インドチェンナイ行きに変更することになりました。

さて、デリーは本当にすごく変化していてまずそこらじゅうにいた牛が一匹もみあたらなくなり
新しい富裕層街ハウスカーズヴィレッジにはインドとは思えないヨーロッパ風なショップが立ち並び、なんとスターバックスまでもがそこに出来ていました!(インドでは初めてみた)
その他ファーストフードがたくさんできていてそれもデリーの課税が、12.4%だから日本と変わらない値段!
けれどお洒落で豊かな若者が街を楽しんでいました。突き当たりまで進むと遺跡と思われる広大な公園がありデリーの騒々しさを忘れさせてくれる場所となっていました。
そして次に2005年に建立されたアクシャルダム寺院。デリーのやや外れに位置するこの寺院はタージマハールよりも優れた建造物とも言われるほど彫刻が素晴らしくそしてもの凄く広大な建物です。寺院の内部まで辿り着くのに全ての手荷物を預けなければいけない手間とあまりの広さに1時間はかかったんじゃないかな?けれどヒンドゥー教の寺院としては国内最大で装飾美術が一見の価値あり。そしてそこの寺院に行くために降りたったメトロ駅に併設された如何にも目新しいファーストフードレストランはデリーで初めて美味いと思わせる食事を提供してくれました。しかも、安い‼︎
そして次に入場料を支払い適正な価値でお土産が手に入る外国人に人気のカーンマーケット。煩わしいリキシャも人混みも避けて広々とした敷地の中に様々なインドの地方料理が味わえる屋台やお土産をゆったりと見ることができる場所となっていて、いわゆるインドとはまた違う雰囲気が楽しめます。
そしてまたメトロを使い安宿街へ。
PM2.6の影響でデリーの空気はもの凄く荒んでいたけれどそれとは裏腹にどんどんグローバル化が進み誰の手にもiphoneがありそしてやはりどの都市部でもそうであるように誰もが忙しそうに時間を過ごしていました。物価のものすごい上昇と給料の上昇。外国人なんて既に相手にしておらず客引きなんてすでになく自国のパワーを感じずにはいられませんでした。