与えすぎの調整なのか
ふっと思いついて数年ぶりにリフレクソロジーに行ってきました
セラピストの方って
お客様の不調を受け取ってしまう方が多いと聞いたいましたが
私を担当していただいた方もそんな経験をお持ちで
自分をコントロールするために
滝行を行ったり
精神修行をなさった時期を経て
最終的に瞑想をして整えることに落ち着いたそうです
その瞑想を指導されていた方は大病をして
若くして亡くなられたようですが
精神修行も瞑想もヨーガのアーサナもそうですが
自己を手放していく修練です
ただ静かになっていくのではなく
自分よりも静寂の価値が高いという認識をする
その行為がいくら良いからと言ったって
それを外に発信し他者に認めてもらうことではなく
自分がどうあるかということ
によって向こうから導かれてくるものであり
他者のためという感情は
自分を制限し自我を生み出していくか
二元性の原理によって
戦いを生み出していく
精神修行をして静けさとを心から得るということは
自己を超えて
宇宙との繋がりを感じること
それは他者を切り離し
過去や未来を切り離し
他の誰のものでもない道を
ただひたすら一人で歩む
此処でいう孤独の道なのだと思う