31 December 2016

渡辺和子





置かれた場所で咲きなさいの著者である渡辺和子さんが亡くなった
彼女は旭川出身のクリスチャンでマザーテレサの通訳も勤め上げたことがある
この本はとても心に響く素晴らしいものでした
お会いしたことはないですが何冊かの著書を読む限り
彼女自身もマザーのような心の持ち主だったような気がします


その中の「愛と励ましの366日」の著書の中で彼女の命日12月30日から





人は死ねば焼き場に連れて行かれて
焼かれて灰と骨になります
その時に、焼き場の一二〇〇度の高温でも
愛は焼けないんです
レントゲンに写らず
目に見えなかったもの
しかしながら今日の私を生かしているもの
それは焼けないんです
だから
愛は死よりも強いのです
愛は死に負けないで不滅なのです




どうぞ安らかにお眠りください

29 December 2016

年納め

サーランバサルヴァンガアサナ
今年の締めくくり



頭立ちのポーズからの肩立ちのポーズ
そして鋤のポーズ
最後はシャバアサナで
大地に還る


今年も1年ありがとうございました
来年もどうぞよろしくお願い致します

27 December 2016

自然環境の恩恵



寒さがとても厳しい旭川
この地に降り立ち早2年
寒暖の差がとても大きく日が短いせいもあり気持ちがつい早まってしまう

自分の中にあった
確固たる規律が環境の厳しさゆえに変化していく
最初は必死に抵抗していたけれど

心の赴くままに流されてみたら
物事のシンプルさに気がついた
さらに流されたら何にもなくなってしまうのかな?

風に吹かれるままにこの地にやってきたけれど
環境の厳しさに全てを捨てようと思ったけれど
実はそれは私自身がこの地に抵抗していただけなんだと
流されてみて初めて気がついた

色んなことがシンプルになって
確固たるものなんて魂だけなんだって
信仰心だけは強くなってゆく

この地に抵抗しても
ちっぽけな私なんてすぐに全てに取り込まれてしまう
だから祈るしかない
物事はシンプルなんだ
自然と共に私も在る






21 December 2016

アシュターヴァクラ・ギーター





わたしは真理
知恵によってのみ照らされる

人はなぜ五感によって生きるのか
なぜ感情によって生きるのか
なぜ死に向かって生きるのか

わたしは真理
知恵によってのみ照らされる






16 December 2016

太陽と月



一日が終わり眠りにつきまた次の日の朝が来る
私たちはそれを何年繰り返しているのだろう
朝の光、そして夜の闇
相反するものの中で私たちは生まれた
日の光に照らされた私の後ろに必ず現れる影
私の心が透明であれば日の光は水のように反射してくれるのだろうか?

いつものように繰り返される太陽と月
実は私自身が周っていたのだと気付かされる
太陽も月も決して動くことはないのだと




3 December 2016

NEWクラス開講


                                                                    12月より

                                    M-space北彩都(旭川市宮前東通40−13)
                      
                                                  にてハタヨーガクラス開講致します

                  初心者の方から
             上級者の方まで丁寧にご指導いたします。
               体のお悩みをお持ちの方、
         数ヶ月で体とこころの変化をご実感できると思います。

                                          毎週水曜日9:00am−11:00am

                                                         1回1500縁

                                           
                                                                   *ログハウスの素敵な建物です。
                                                      お問い合わせページよりお問い合わせください


27 October 2016

お寺ヨガ

11月2日 19:00-21:00
@当麻町無量寺 (中央7区)
1000縁

*お寺ヨガ*
月夜の夜に
冬の音色と風の戸惑い
ひかりの空に
瞑想 × シンギングボール

どなたでもご参加できます。
お問い合わせはお問い合わせページよりお願い致します。



26 October 2016

スワミとの出会い

シュリー・マーター・アムリターナンダマイー・デーヴィ




通称アンマ

抱擁の聖者とも呼ばれるアンマ。

以前のブログでも書き留めましたが
私が訪れようとしていたアシュラムは彼女のアシュラムでした。
足を伸ばさなかった理由は以前のブログにも記載したので省略します。

ですが、なぜかまた引き寄せられるように彼女の側近の高弟子である
プウールナ・アムリターナンダの来日講演に参加できたのは
彼女をもっと知る必要が私にあったからなのかもしれません。

講演の前日のプログラムであるプージャ(祈り)に参加できたのも
私にとって更なる意味をもたらしました。
それは突然に逝ってしまった母の初七日と同じ日だったからかもしれません。

その日の祈りはサラスワティー(芸術や学業の神様)でした。
私はヨガを教えていて自分自身がさらなる段階にきていると今感じています。
その応えをサラスワティーは私にもたらしてくれたのかもしれません。
彼のプージャは素晴らしいもので
彼の近くにいるだけで安らぎを得ることができるほど高貴な存在でした。
私は彼のダルシャンを受け何か自分の中の静けさをより深く感じることができるようになったような気がします。
実際インドでも高いくらいのグルにはそう簡単に会えるわけではありません。
このような方にあったのは初めてでした。
内側の静けさの中に生きていられるそんな静けさと愛を持っていらっしゃいました。

次の日の講演でのフルート瞑想は
今までで聴いたことのない安らかで美しく聴いているだけで
悟りがひらけそうなほど我を忘れてしまう音色でした。


そしてどうしたら自己実現の道が開けるか誰にでもわかる言葉で説明されていました。


もっと意識を持って生活をし

ポジティヴに
そして善い行いを日々していくこと
そのために瞑想をすること

素晴らしく美しい日々
その後の私に光を与える
まさにグルとはこういう人のことを言うんだとはっきりと感じました。

13 August 2016

イベントのお知らせ


先日当麻町ヘルシーシャトーで行われましたヨガイベントが好評につき今週も開催されます。どなたでもご参加いただけますよ!!


8月17日水曜日19:00−21:00
当麻町ヘルシーシャトー

 参加費1000円


11 August 2016

インドpart14

寝台バスでリシケシ手前の街ハリドワールに到着し、そこからローカルバスに再び乗り換えてリシケシに向かいました。
バスはぎゅうぎゅう詰めで娘が押し潰されそうです。今まではとても子供には親切なインド人が誰かしら席を譲ってくれていたので我先に席を取り合い私たち親子に誰も譲ろうとはしませんでした。たまたま乗り合わせた日本人の女性ですら‼︎
私はバスの中で激怒し大声で日本語で子どもがいるんだから譲れ!と叫びました。日本語でしたが殺気立っておりましたので渋々譲ってくれたおじさんが現れましたが、今まではインド人は本当に気さくで親切な人ばかりで、その時に外国で生きるとは自分のことは自分自身で護らなければいけないと実感させられました。
とはいえもう何度も訪れたリシケシ、到着すると懐かしさでいっぱいです。近年のヨガブームで教室は爆発的に増えたものの、私たちがいつも宿泊するエリアは何ひとつ変わっておらず、帰ってきた‼︎という気持ちになりました。早速バイクを借りて一周り。
2.3年前にヨガブームがこのリシケシに訪れ、それと同時に欧米人に人気のジャマイカ人のグルmoojiがリシケシに毎年来るようになりゲストハウスの数がもの凄く増えているのにビックリ。最近はsnsや格安航空券の登場で誰でもインドに行けるようになったとインド中を周り思いました。特にリシケシなんかは初めての海外でも全然大丈夫な気がします。
次回は娘と二人だけで行きたいな。
そう、このリシケシには私のヨガ人生を決定付けた師匠がいる場所でもあります。

近年彼は指導場所を移し、滞在型ヨガ施設を経営しておりました。
朝クラスを受けに向かったら、なんと満員御礼マット半分だけ敷けるスペースがあり無理やり入り込みました(笑)10年前からずーとこの生徒数をキープし続けているに驚き、しかも更なる経営というステップアップ。
いつも自身のクラスを行う際は必ずと言っていいほど彼がよぎります。それくらいカリスマ性と知性を兼ね備えたヨガの先生です。今回は色んなヨガの先生に指導を受けましたが、こんなにもクラスの空気感を作り出すのが上手い先生は他にいませんでした。
やはり私にとって最高の指導者です。

今回は他にもこのリシケシでヨガを受けてきました。もう何十年前から指導しているアイアンガーの先生。あのBKS氏から直接指導を受けていた方です。ですが指導がかなりおじいちゃんで、まず指導が古い、しゃべってばかり(ギャグ、悪口)、英語のなまりが酷い。
で全く良さが理解できず。

ですが今回の旅は私にとって脱アーサナ(体操)で、もっと呼吸法やマントラ瞑想を学びたい欲求にかられ、そんな時にとてもいい先生にこのリシケシで出会うことができました。彼はとてもクラスの構成や自身は地味ですが深い知識を兼ね備えている、いわば上級向き先生。マントラの音色がとても美しく、教えていただいたガネーシャのマントラは私にとって最高のプレゼントで、いつも口ずさむ度に勇気と自信をもらえます。

私にとってインドはいつも求めているものに手を差し伸べてくれる。
特にこのリシケシはいつも迷う心に最終的に答えと出会わせてくれる場所でもあります。

今回もヨガに対して色んな迷い疑問を抱え、小さい娘を抱え半ば強引に決行しました。
旅の中でも迷い葛藤、劣等感がもの凄くありました。
けれどこの地に足を踏み入れた時すべてが解決しそして前を向くことができた。
そんなリシケシは私にとってのホーリープレイスです。




                                                                                             



                                    


3 August 2016

イベントのお知らせ


8月10日(水)19:00−21:00 当麻町ヘルシーシャトー

会費1000円

にてどなたでもご参加できるクラスが開催されます。
普段お仕事があってご参加できない方やヨガに興味がある方是非ご参加ください。


*普段公民館などでヨガをされている方やフィットジムからのステップアップに、
本来のヨガとはどのようなものか体操から瞑想まで丁寧にお教えいたします。
ヨガに対する概念そして人生のヒントが見つかるはずです。

20 July 2016

インドpart13


食欲が戻らない娘を抱えながらマイクロバスで3時間、プシュカルへ到着。
ジャイプルで宿泊したオーナーの紹介の宿へ。
ここはとても小さな街なのでバイクをレンタルしようと尋ねるもなんと、
ホーリーという北インドではとても有名なお祭りが始まるらしく、特にプシュカルはヒッピーたちに人気が高くガート(プシュカルは「青蓮華」のこと。創造神ブラフマが投げ降ろした蓮華がこの地に落ちて湖が造られたといわれ、叙事詩『マハーバーラタ』ではインド巡礼の出発点になっている。)

に至ってはリシケシに勝るほど美しい景色がそこにありました。
多くの旅行者で賑わっていた理由はもう一つ、北インドでは有名な豊作祈願のお祭り”ホーリー祭り”がこの時期に開催されそれを楽しむために世界各国からこのプシュカルに集まっていました。このホーリー祭りというのは日本のイメージするお祭りとは異なり、大人から子供まで色のついた粉を思いっきり掛け合いをする。そしてそれを洗い流す意味で水鉄砲で水の掛け合いも行われる。
実を言うと私たちは3回目のインドなのにこの時期にここでホーリーが行われるなんて微塵も知らずにここに来ていました。しかもそれがどんなものなのかも知らずに...
いつも小さな町だとバイクをレンタルするのですが何故か一台も空いておらず、どうしてこんなにこの時期に旅行者が多いのか疑問にすら思っていました。
そんなことはつゆ知らず娘の体調はみるみる回復し逆に私の体調がどんどん悪化して娘と夫はラクダに乗ったり楽しんでいましたが私はホテルに寝たきり状態になってしまいました。少し救われたのはこの町はジャイプルほど食事に困ることがないと言うことでした。インド各地を周りましたが人気の場所は必ずと言っていいほど食文化が発達していまいした。ここプシュカルもやはりそうでびっくりするほど美味しいスパゲッティーやピザを食べることができます。
体調も段々と回復しホーリー祭当日になりそこら中でカラーと言われる粉が舞ってインド人も外国人も人種の垣根を越え粉に全身まみれ、踊り、笑い、抱きしめあい、この時の解放感と言ったら、大人になってからは味わうことのできないもの、そしてどこかで求めていたもの、裸で生きているような感覚を覚えました。顔も体も粉まみれになって周りの人たちはもちろんの事、自分自身が何人であるかなんてどうでもよくなる。
最高のお祭りでした。日本でもぜひこのようなお祭りを開催して欲しいですね。
この日だけはなんでもありなんですよ!












そして私たちは恐ろしいほど汚い寝台バスに乗り14時間かけ北インド、ヨガの聖地リシケシに向かいます。


6 July 2016

7月10日

選挙に行こう

自分が自分らしくいられる世の中に

あなたはそのままでいい

あるがままのあなたでいい



14 June 2016

インドpart12

デリーから1度は行きたかったラジャスターン州へ
先ずはジャイプルへ
ジャイプルはピンクシティという赤い城壁が有名で良くインドに来た観光客のデリーからのツアーにもなっています。
あと、本当に美味しいラッシーが(ヨーグルトで作られた飲み物)伝統的な陶器の器で飲める場所でもあります。
ですが、ゴミ箱をひっくり返したある意味インドらしいこの街はとても埃っぽく貧富の差がとても大きい場所でもありお世辞にもいい街とは言えませんでした。
レストランやちょっとした食事をすることも大変で、というのも昔金で栄えた町のようでその名残りなのかものすごくハイソなレストランか地元の人が利用する汚らしいダーバーしかなく苦労しました。
貧乏旅行ですからダーバーを利用するのですが案の定みんなお腹を壊し娘はなんと先に話したラッシーで食中毒にかかり寝込んでしまいました。恐らく生水で薄めていたのでしょう。
何度も嘔吐を繰り返し食事も取ることが出来ずいよいよ病院かとも思いましたが携帯電話を紛失し国際電話がかけられない状況で困り果ててしまいました。
そうこうしているうちになんとか状態も良くなってきたので急いで次なる目的地プシュカルに向かいました。
後で知ったのですがジャイプルの現状を知っている人はデリーから直接プシュカルに向かうようです。
プシュカルは多くの外国人観光客が滞在する場所でありデリーで会った友人もプシュカルを勧めていたこともありバスを予約し3時間ということもあり直ぐに向かいました。
プシュカルでまともな食事をし体調を更に回復したかったからです。







10 May 2016

インド part11

コーチンから飛行機で一旦デリーへ
このデリー滞在で大きなハプニングとミラクルな出会いが訪れます。
それは地下鉄でグルガオンとゆうデリーの新しくできたハイソな街を見物しようと出掛けたところ途中、携帯電話がなくなってしまったんです。もちろんどこで無くしたかなんて分からないし当然盗まれた可能性だってあります。
海外で携帯電話を無くすと先行きに不安をもの凄く感じるものです。
ひと昔はそこら中に国際電話が通話できる電話機があったのですがこの5年で携帯電話の普及率が上がり国際電話なぞ見る影もなくなりました。なので、万が一何かあった時の日本とのコンタクトがなくなってしまったとゆう恐怖と、ガイドブックは持ち合わせていたものの色んな情報は携帯電話のインターネットを頼っていたため(ホテルのブッキングなど)に窮地に陥った状況になってしまいました。
警察に行き経緯を説明しレポートは書いてもらいましたが、もちろん携帯は見つからないまま。帰りの足取りがもの凄く重いまま一旦ホテルへ。
すると何故か毎回インドに行く度にリシケシで出会うスワミ(修行僧)が!しかも首都デリーで。しかも宿泊中のホテルの前で。
どんより気分のミラクルです。
実はわたしの全てを変えてしまった最初のインドで知り合った友人にこの旅の中で3人にも偶然出会ってるんです。
それって何か重要な意味を持っているような気持ちにさせます。
実は先にも話したティルバンナマライでアルナーチャラ山で瞑想中にシヴァ神がわたしの脳裏にドカーンと現れ出てきたんです。
アルナーチャラはシヴァ神が降り立った山と伝えられているのですが、
シヴァ神は破壊のシンボルでもあって、それはオームの言葉の意味の中のひとつ、創造、維持、破壊というものでもあります。世の中のすべてもこの3つで成り立っているわけなんですが...
毎度インドに行くときは、わたしにとって大きな意味を持つことが多く、今回も破壊、つまり新しいことの始まりを予感させて仕方ないシチュエーションがシヴァ神やこの出会いにありました。
偶然あったスワミ、とデリーの安宿街パパルガンジのどう考えても1人だと入ることがない、ここに入った初めての外国人ではないだろうかと思わんばかりのアシュラムへ行き、
スワミとグルジ(僧)と何故かタクシードライバーとわたしでスピリチャルな話やチャンティー(聖歌)を歌ったりしながら、インド人の本質にある信仰心を共有することができましたし、わたしにとって何かが揺れ動いた瞬間でもありました。
そして、そのことは後に携帯と引き換えに大きなモノを得たような出来事でもありました。








6 May 2016

インド part10

アレッピーから世界的に有名な抱擁のグル、アンマのアシュラムへ向かおうと思いました。彼女がいる可能性が高かったのですが、あまりにも世界的に有名で忙しくわたしの思い描く彼女のグルとしての像とは異なるような気がし会いに行くのを止めました。
実はこの前に偶然のように渡印の度に出会う修行僧に今回もデリーで偶然出会いデリーのパハルガンジの小さなアシュラムで神についての話で盛上がった時にグルは夫であり子どもであると言われとても納得したのも、アンマに会いに行かなかった要因でもありました。
なので、アレッピから今度はバスでコーチンへ、そこから更にボートでフォートコーチンに向いました。
フォートコーチンはインドの中でもかなりハイソな都市でキリスト教且つポルトガルに統治されていた歴史もあるだけに他のインドの都市とは似ても似つかぬヨーロッパの街並みのようでした。ホテルからレストランまでとてもオシャレで味も本当に美味しく、インドで初めてとても美味しいと思う料理に出会いました。
ここはカタカリとゆう古典舞踊も有名でインドの歴史を踊りや音楽を通して垣間見ることができます。







ここでホテルの受付けの少年との他愛もない会話からこんな話に発展します。
彼は現在28歳でとても貧しく11歳から働いていて働いたお金をほとんど両親に渡し続けています。お姉さんが2人いるのだけれども、インドの古いしきたりでダウリとゆうものがあります。ダウリとは女性が結婚する時に女性側の両親がお婿さんに持参金を渡さなければいけないとゆうもので日本円にして約200万円程だそうです。それを払う為に彼はずっと働き続けていてこれからも両親にそのお金を渡すつもりでいるそうです。
インドも先にも話した通り経済発展が著しく、彼の家も最近になりようやく貧しさから抜け出せたそうです。
けれども、経済発展と同時に様々な世界中の情報が若者たちにも入ってきます。
彼は毎日同じ生活の繰り返しでとてもつまらないし、何をするにも周りの目が厳しく特別なことをしたら何を言われるかわからない。恋愛も許嫁としか結婚できず、逃げ出したいけど逃げ出す術がないと。
インドは超人口過密都市で都会以外は意外にも日本の田舎のような協調性がないと生きられない部分を持ち合わせています。
経済発展の裏に若者の気持ちの空虚さがとても哀しく、と同時に自分と照らし合わせ、彼と私たちの価値観の歩み寄れない部分を目の当たりにさせられました。









2 May 2016

インド part9

ヴァルカラからバイクタクシーに乗り、コッラムへそこから更にバスに乗り換えハウスボートクルーズで有名なアレッピーへ。
ここでは180年前に建てられたヘリテージホテルに宿泊しました。

もちろんこの場所の目的はハウスボート。船を一台貸切、水郷地帯をクルーズするとゆうもの。





アレッピの生活が舟から垣間見ることができます。更に小さい舟に乗り換え狭い道にも向いました。

途中降りた田舎町のゆっくりと流れる時間を感じそこに住む人々との交流はとても貴重な体験となりました。















28 April 2016

インド part8

ティルバンナマライからバスに乗りポンデッシェリーに戻りそこからナイトバスにのり15時間かけてケーララ州トリバンドラムへ。
更にローカルバスに乗り継ぎビーチサイド「ヴァルカラ」へ。
西にある人気リゾート「ゴア」の隠れゴアとかつては呼ばれていたようですが情報社会になり完全なリゾート地になりつつある場所でした。以前ゴアには行きましたがこちらの方がビーチは綺麗でホテルからの距離が近くこじんまりとしていて、わたしはこちらの方が好きです。
ケーララ州と言えば識字率100%で社会主義、インドの中でも成功した州といわれているだけに他の州とは異なり裕福さが伝わりゆったりとした人たちばさりでした。
アーユルヴェーダでも有名でいたるところで施術を受けることができます。シバナンダヨガのアシュラムも有名でこちらもいたるところでヨガを体験することができます。いまのシバナンダアシュラムは日本人ばかりと他の国の人が言っていた通り、10年前わたしはガンガーの上流ヒマラヤの麓のシバナンダで2週間滞在しましたがその時は日本人なんて1人もいませんでしたがヨガブームのせいかこのヴァルカラのシバナンダアシュラムを久しぶりに体験しようと子連れ参加した際、欧米人の先生に生徒はアジア人のみと不思議な光景でした。子どもが泣き出してしまい体験することなく追い出されてしまいましたが...
ですがそのおかげで素晴らしい先生に出会えました。彼れのアジャストは素晴らしくアーサナのシークエンスは地味でしたがその人がもつ身体を最大限に活かしアーサナを完成させるアジャストはとても勉強になりました。

ヴァルカラでの日々は毎朝ビーチに向かいそして夕方ヨガを習い、アーユルヴェーダ受け、そしてこれまた素晴らしいインドとは思えないノンスパイシーの食事をいただきと夢のような時間を過ごしました。






23 April 2016

インド part7

次の日の朝遅くティルバンナマライを散策に出かけると同じ日本人の女性が話しかけてくれアシュラムのスケジュールや周辺の情報を細かく教えてくれました。彼女は5年前から毎年此処を訪れているそうです。この地も多くの外国人が訪れるようになり外国人向けのゲストハウスやレストランが増えひとつの観光地のように変化しつつありました。
夕方マハリシに向けてのお祈りがあると聞きアシュラムに向かいました。
アシュラム内の中央にマハリシを崇拝する像がありそれを囲む僧侶がマントラを口ずさみ像を洗い清め花で飾り立ててゆき、更にその周りを信者が歩いてゆき、その前の広場でも他の信者が目を瞑り何か祈りを捧げているようすでした。
私はそれに何か滑稽な違和感を感じすぐさま外に出てしまいました。
それはきっとマハリシが偶像崇拝を否定していたし、私への探求が自己実現への一番の近道だと強く語っていたのにも関わらず人々はやはりマハリシを神とし崇拝し悟りを被ろうとしている。自分の頭の中で「大切なのは祈りではなく自分への探求」という言葉が何度も繰り返し駆け抜けて行きました。
この度の大きな目的地だったティルバンナマライ。もう私にとってはこのアシュラムはただの箱でしかありません。この地に来れば私の道に少しの光が射すかもしれないと思い来たはずだったのにその思いはガタガタと音を立てて崩れて行きました。
あくる日、子どもを遊ばせるには良い環境だったためにふたたびアシュラムに向かいました。するとアシュラムの奥に入り口がありそこから登山道のような道が繋がっているのを発見し娘をおんぶし登ってみることにしました。
マハリシが22年間過ごしていた洞窟までは1時間ほどの山道でしたがあまりのエネルギーに何故か涙が止まらなくなり、毎日この山に登りたいとさえ思いました。
アシュラムでは感じられなかったこのアルナーチャラはシバ神が降り立った山と言われています。



7 March 2016

インド part6

ティルバンナマライに行く前に以前フランス統治だったポンデッシェリーに向いました。マーマッラプラムからパブリックバスで3時間そこからリキシャでアシュラム経営のゲストハウスへ。ここはグル、オーロビンドゴーシュの息づく街。多くの滞在型アシュラムで瞑想やヨーガがおこなわれています。けれど想像以上にハイソな街。
運悪くインド人の休日とぶつかりどの部屋も満室で空いていたとしてもとても高い値段の部屋しかなく長期滞在は難しいかなと途方に暮れてしまいました。
ここは酒税がかからない為、現代のインド人には人気があるようです。もちろんアシュラムも人気が高くオーロビンドゴーシュの人気も高いのが伺えました。とはいえ全体的に何処かヨーロッパの風を吹かすポンデッシェリーは私たちとってはなんとなくインドのイメージとは遠く離れたなにか居心地の悪さを感じさせて無理をしてまでも滞在する気には到底なれずまたバススタンドまで戻りティルバンナマライにそこから更に3時間かけて向かうことにしました。
ティルバンナマライはタミルナードゥ州の中では田舎で途中の景色は田舎街に相応しい田園風景と巨大な石が積み重なって出来た大きな山々とそしてその上には廃墟となった城が建てられておりインドの深い歴史を感じさせられました。そしてその情景が開け放たれたバスの窓から何故か懐かしい風が私のまわりを駆け抜けて行きました。
ティルバンナマライには18時過ぎに到着しホテル探し。10年前のガイドブックしか持参していなくそこに掲載されたホテルに行くも当時の倍の価格。仕方なく目的地マハリシのアシュラムまで足を伸ばしアシュラムに宿泊できるか尋ねるも1ヶ月前の予約が必要とのこと。10年前のガイドブックでは多くのゲストハウスはなくこじんまりとした印象でしたが実際には多くの外国人が滞在して外国人向けのホテルやレストランが数多く存在しているようでした。運良く看板などは出していないが部屋を提供している場所を見つけ、少々高くついたけれど(約1600円)AC付きでとても清潔でとても広い部屋に宿泊することができました。
その日はあまりにも疲れていた為に日本から持参したアルファ米とお味噌汁でみんなご就寝しました。




5 March 2016

インド part5

ドメスティックエアポートに着きました。恐ろしくリゾートを感じさせる造りとなってしまって驚愕。以前来た時とはまるで面影もありません。空港周辺には既に巨大なホテルなどが建築中でした。まだまだ変化しそうな勢いです。エアポートの中ではお酒も堪能できるレストラン(インドでは宗教的な理由からお酒を飲むことはほとんどできません出来てもとても高い税金がかけられている)などもあり完全に外部を意識していました。
そこから3時間かけてチェンナイへ。人がごった返した街、日本企業が多く日本人も多いらしいのですが街自体の特に観光もなくとてもアクセスが悪いのでそこからローカルバスで2時間かけて5年前に津波の被害を受けたビーチ観光地マーマッラプラムへ。


津波の後、タミルナードゥ州では大きな観光地だった為に政府はすぐに復興するも観光客は激減し私たちが行った時にも何か少し時代遅れのようなひっそりとした観光地になっていました。
被災以前は多くの日本人が訪れていましたが津波の後は激減したそうです。
でも、本当の意味では津波の後また訪れてそこでお金を使うことが彼らにとっては多くの幸福をもたらすのだと思います。
魚介料理と石像工芸が特に有名でシヴァの息子ガネーシャを購入させてもらいました。そのあと他の地域でも同じような石像が売られていましたがこれほどまでに美しい彫りはありませんでした。インドの寺院を見ておわかりのようにインドには腕の良い彫刻人が数多くいるようです。
次は愛してやまないマハリシの眠るティルバンナマライへ