23 April 2016

インド part7

次の日の朝遅くティルバンナマライを散策に出かけると同じ日本人の女性が話しかけてくれアシュラムのスケジュールや周辺の情報を細かく教えてくれました。彼女は5年前から毎年此処を訪れているそうです。この地も多くの外国人が訪れるようになり外国人向けのゲストハウスやレストランが増えひとつの観光地のように変化しつつありました。
夕方マハリシに向けてのお祈りがあると聞きアシュラムに向かいました。
アシュラム内の中央にマハリシを崇拝する像がありそれを囲む僧侶がマントラを口ずさみ像を洗い清め花で飾り立ててゆき、更にその周りを信者が歩いてゆき、その前の広場でも他の信者が目を瞑り何か祈りを捧げているようすでした。
私はそれに何か滑稽な違和感を感じすぐさま外に出てしまいました。
それはきっとマハリシが偶像崇拝を否定していたし、私への探求が自己実現への一番の近道だと強く語っていたのにも関わらず人々はやはりマハリシを神とし崇拝し悟りを被ろうとしている。自分の頭の中で「大切なのは祈りではなく自分への探求」という言葉が何度も繰り返し駆け抜けて行きました。
この度の大きな目的地だったティルバンナマライ。もう私にとってはこのアシュラムはただの箱でしかありません。この地に来れば私の道に少しの光が射すかもしれないと思い来たはずだったのにその思いはガタガタと音を立てて崩れて行きました。
あくる日、子どもを遊ばせるには良い環境だったためにふたたびアシュラムに向かいました。するとアシュラムの奥に入り口がありそこから登山道のような道が繋がっているのを発見し娘をおんぶし登ってみることにしました。
マハリシが22年間過ごしていた洞窟までは1時間ほどの山道でしたがあまりのエネルギーに何故か涙が止まらなくなり、毎日この山に登りたいとさえ思いました。
アシュラムでは感じられなかったこのアルナーチャラはシバ神が降り立った山と言われています。