私たち日本人はインド人とは違い視覚的に捉える傾向が強くそれを全てと思いがちになってしまっている。インド人は音で捉えるらしい。音は5代要素のうちより空に近くより精神的。視覚は土、物質的傾向。
ヨガでは今私たちが生きている時代をカリユガの時代といってより原子の時代と言われている。つまり全ての人が精神的、宗教的精神からより離れより物質的より鉱物的に向かう時代を生きているという。実際、自動車、電気、パソコン、あらゆる原子が私たちの生活には溢れ返っている。
手に触れるものがすべて鉱物でありその精神なさゆえか私たちはより視覚での判断をし私たち自身も鉱物と化してきてしまっている。その救いであるヨガですらポーズがある故に視覚的ようそが強調され本来のヨガの意味がどんどん遠退いてしまっている。ヨガとはチッタを死滅させること。つまり頭の中の思考を止めることで精神を安定させて行くこと。
わたし自身もアーサナを練習していくとポーズに固執してきてしまって呼吸や瞑想を軽視しがちになる。そしてまた原点に戻り「わたしはどうしてヨガを始めたのか」と問い、そうそれは自分自身と向き合うためだと気付くのである。
ヨガはスポーツではない。本来の自分自身を見つける精神文化である。