13 June 2017
8 June 2017
Amma
アンマ、アムリターナンダマイー・デーヴィー。
インドの聖者。
以前のブログでも記載いたしましたが
去年インドを訪れた際、ちょっとした気持ちの行き違いから
もう目の前のアンマのアシュラムを訪れることができず帰国。
今年に入り何故か偶然、彼女の元で30年以上修行をしている高弟子に母の初七日に会うことができひどく感銘を受け
どうしてもアンマに会いたいという気持ちが強くなり
再び偶然、彼女が5月に来日すると知り
旅の途中急遽、最後の目的としてアンマに会いに行くこととなりました。
場所は東京
会場が開くと同時に長蛇の列
早い時間に行ったもののもう既に多くの人がアンマの抱擁を待っていました。
この時点でもう既に会場内の空気感が全く違って神聖なものがここにある
何か強いエネルギーで私の頭がぼーっとして
けれど心は神聖さが現れてきました
彼女が会場に現れるのをひたすら待ち姿を現した時、
ただ、あぁ私はこの人を待っていたんだ
という気持ちしかありませんでした。
彼女と神に祈りを捧げ瞑想をし
抱擁までの間キールタンを歌い
抱擁の順番がきました
彼女の胸でただ私は無心でした
そのあとも真っ白なまま
神の化身は母と同じ愛情を
全ての人々に捧げておりました
人々を抱擁しながら
一人一人アンマの表情が変化します。
彼女にはいろんな人生が見えるのでしょう
いよいよ私の番になり
アンマのそばで平伏し深い胸の中で抱擁されました
その時、彼女は何か呟いていました
私には『私の子供、私の子供よ』と心に響いてきました。
アンマの誕生日が亡くなった母と同じ誕生日だと
帰宅の途で知りました。
5 June 2017
3 June 2017
四国
瀬戸大橋を渡り四国へ
この瀬戸大橋が完成するまで離島だったこともあり
歴史を感じる情緒漂う雰囲気に包まれています。
そして何故か四国はどの県も優しい風に包まれていました
香川県の讃岐うどんはとても有名ですが
私はとてもうどんが好きで
一度は本場で食してみたいとかねがね思っておりました。
讃岐うどんのスタイルは、
セルフサービスで素うどんに好きな揚げ物などをトッピングしていくという、
よくある大手うどんチェーン店と同じ形をとっているところがほとんどであり
何よりチェーン店と違うのは味もさることながらお店の雰囲気。
そこら中にあるうどん屋さんが古めかしく、
全く気取ってはいなく昔からある駄菓子屋のような
生活感がにじみ出ている感じがしました。
香川県では最近よく雑誌などで取り上げられる
アートの島、直島へ。
ここはベネッセが土地を買い取り建築家の安藤忠雄氏が設計した
美術館やホテルが立ち並ぶ島です。
元々は産廃を受け入れるにあたり
風評被害対策の対策の一環のアイディアだったそうです。
ですが産廃業、古くは三菱マテリアルの煙害や山林火災によって
禿山となった島とは思えないほど美しい景観でした。
日本国内でこれほどの美しい海を見たのことはなく
感動的なエメラルドグリーン色に輝いておりました
もちろん安藤氏が手がけた景観を損ねないために
設計された全てが地下に埋まっているという
地下美術館も絶句するほどの美しさがありました。
階段を下り入り口から見える巨大なモネの絵画
設計された四角い入り口と真っ白い壁のコントラストが
異次元空間の中に佇んでいるようで
一枚の絵に私の全てが引き込まれて行きました。
31 May 2017
そして広島へ
九州全てを周りいざ広島へ
もちろん目指すは平和記念公園。
広島県自体はものすごく発展していて大都会
70年前に原爆を投下され14万人以上が亡くなったという事実は
この平和記念公園以外ではまるで感じられないほどの街並みです。
けれどこの平和記念公園(爆心地)には悲しみと平和の祈りが
そこにいるだけでどの人の心にも感じられてきます。
原爆資料館に入館しまず最初の写真は
壁一面に映し出された投下前の爆心地の街並み。
そして中へ入ると跡形もなくなった丸焦げの爆心地。
その対比がとても衝撃でした。
そして爆撃後の遺留品などと被害者の方の声が更なる悲劇を目の当たりにして行きます。
資料館を後にする頃にはとても重たい悲しみと、
唯一核爆弾を投下された国であるのに
原発を稼働し9条を改憲しようという
日本の矛盾を感じいたたまれなくなってしまいました。
何かの犠牲の上に私たちの平和が成り立っていることに多くの人たちが気づいてもらえるために一度はこの平和記念公園を訪れていただきたいと強く願います。
日本という島々
ゆっくりと旅をしているとふと立ち寄る町の歴史的背景も知りたくなります。
長崎の原子爆弾や熊本の薩摩藩、水俣病。鹿児島の川内原発。
その土地の背景を知ると全ての見方が変わってきます。
例えば水俣病で被害を受けた水俣市。30年以上前のことですが未だ町の名前を挙げただけで差別されてしまう悲しい背景があります。けれどもその多大な被害があった海辺も大きな美しい景観の公園へと変貌し環境モデル都市としてゴミの分別を24種類と全国でも最も細かいレベルまで分別し『日本の環境首都コンテスト』(日本の環境保護の分野において優れた行政活動を行なっている自治体)において2年連続1位を獲得している町に変貌している。
前回にも挙げたように被害を受けたからこそ大切さがわかる。
全ては何かの犠牲の上で成り立っていると感じます。苦しみを味わったからこそ人の苦しみがわかるように...
そして川内原発。
日本一危険な原発と言われているその背景には桜島や霧島山などの最も活動な活発な活火山が近くに存在しているということ。
日本人であるのに色んな歴史を教科書のテストのためでしか脳裏に記憶されてなかった自分がとても惨めに感じました。
その土地に染み付いている歴史はその街や人々を形成していると肌で感じます。だからこそ旅と歴史を知るということはセットでなければいけないのだと初めて気づかされました。
15 May 2017
自然災害
長崎から佐賀へ、そして熊本へ。
そして熊本で一番楽しみだったアンナプルナ農園へ。
佐賀では3000年もの間生き続けている樹木に出会いました。
佇むオーラが半端なく神々しく、神様と出会ったような感覚を覚えました。
そして震災から1年後の熊本。
熊本城へ。
城壁ぐ崩れ、勿論遠くからしか見ることが出来ず城自体も鉄骨でなんとか支えられているのが伺えます。
崩れそうな石積みを一旦崩し、一枚一枚番号をふり敷地に何百枚も敷いてありました。
そして一番被害の大きかった南阿蘇へ。所々で未だ通行止め。
山に土砂崩れの跡も伺えます。
けれど、ちょうどゴールデンウィークで去年震災の影響で訪れることが出来なかった人で街はごった返していました。街の活気を感じました。
この南阿蘇にある白川水源、こんなに美味しい水を飲んだのは生まれて初めてというくらい美味しい水でした。
美しい山々に囲まれている村なのだと実感です。
有機栽培でお茶を作っているご夫婦の農園。
旦那様の正木高志さんはインド哲学を学んでおられ是非お会いしてお話をお伺いさせていただきたいと以前から思っておりました。
あいにく正木さんは不在で奥さまのちずこさんが快く迎えて下さいました。
あまり深い話はしませんでしたが、
内なる意識の中で生きているような静寂が彼女から感じられておりました。
そして、彼女にわたしは問いかけました。
「人々は何故内なる真実(魂)だけを見ようとしないのでしょう?みんながみんな手を取り合い、外側に平和を願うより、ひとりひとりが内なる魂のみを真実としたならばすべてが平和になるのに」
「わたしもそう思います。」
と彼女は静かに仰りました。
差し出されたとても丁寧に作られたお茶が静寂とともにわたしの身体に染み渡りました。
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